アラビア半島 2007 8 26
今のところ、アメリカにとって、サウジアラビアは、便利な存在である。
何しろ、サウジアラビアは、石油をアメリカに輸出し、
石油の決済通貨はドルだから、結果的に基軸通貨ドルに安定性を与え、
石油代金で、アメリカ国債やアメリカ株式を買い、
アメリカ財政やアメリカ株式市場にも安定性を与えている。
しかし、アメリカにとって、このような便利な存在が、いつまで続くか?
それは、「つかの間の平和」、いや「つかの間の繁栄」かもしれない。
若年層の人口が急増するサウジアラビアにおいて、
「今のサウジアラビア」が、数十年も続くとは思えないでしょう。
若年層が多いということは、「変化」を意味しているでしょう。
これは、どこの国でも同じでしょう。
今は政治的に安定している日本だって、
若年層が多かった時代は、政治的に不安定だったのです。
「政治の季節」だったのです。
サウジアラビア政府が、若年層の不満やニーズを上手に吸収できるか?
時計の針が逆戻りした今、それは、難しいかもしれません。
最近、私は、こんなインスピレーションを受ける。
やがて、サウジアラビアにおいて、政変が起き、
王制でもなく、民主主義国でもなく、
巨大な国家がアラビア半島に出現し、最終的にはイラクまで達し、
悲願のアラブ統一が達成される。
時計の針 clock hand 2004 7 11
サダム・フセイン政権とアルカイダの間には、
正式な協力関係がなかったというニュースがありますが、
これは、イスラム社会を知っていれば、当然のことです。
サダム・フセインは、敬虔なイスラム教徒とは言えなかったのです。
サダム・フセインは、かなり世俗化していたのです。
世俗化の代表例が、サダム・フセインだったとも言えます。
しかし、世俗化の代表例だったサダム・フセインが、戦争に負けたことで、
時計の針が、逆戻りするかもしれません。
なぜならば、敬虔なイスラム教徒は、こう考えるかもしれません。
「サダム・フセインは、世俗化したから、戦争に負けたのだ。
だから、イスラム教徒は、イスラム教の原点に戻るべきだ。」
こうして、イスラム教原理勢力の力が強くなっていくと思います。